【焼酎の歴史】焼酎とWTO
イギリス政府から狙われた焼酎
イギリスと言えばウイスキー、スコッチが有名ですね。
昭和のお父さんたちは、「ダルマ」という愛称の
サントリーオールドを愛飲していました。
容姿は、黒で撫肩でまん丸。
それでいながら、独特なリッチ感を漂わせていました。
昭和の少年たちは、「大人になるのは、ダルマを飲むこと」
なんて思っていたのです。
その「ダルマ」はスコッチをベンチマークとして製造されたウイスキー。
焼酎はそのスコッチの本場であるイギリス政府から、
名指しで非難された過去があります。
「なぜ同じ蒸留酒であるのに、焼酎は酒税にかかる税率が低いのか?」と。
当時の日本側からすれば、
「たかだか焼酎だろ?何でそんなに目くじら立ててんだ?」
と、憤ってやり返した、かどうかはわかりませんが、
そのような思いは少なからず、あったはずです。
それは単にスコッチの売上げを少しでも伸ばしたいという、
イギリスの思惑、エゴでした。
ウイスキーの「琥珀色」
ウイスキーがなぜ、「琥珀色」をしているかというと、
樽で熟成されたことになっているからです。
ウイスキーに限らず、ウォッカやジンなどの蒸留酒というのは、
焼酎と同じように、最初は無色透明。
ウイスキーもかつては、無色透明なイギリスの片田舎の地酒でした。
それがある日、シェリーの空き樽に入れて(隠して)いたところ、
偶然にも樽の色が着色。
無味無職の原酒が琥珀色に色づき、樽香やバニラのような香りも付いた。
熟成は、ヨーロッパの片田舎の地酒を世界のウイスキーまで昇華させた
イノベーションだったのです。
一方、焼酎はそんな僥倖に巡り合わず、無色透明のまま愛飲されていました。
そもそも、長期熟成には向いていないとされていました。
理由は、他の蒸留酒と比較して、原料由来の風味が強く、芳醇で、濃厚。
むしろ、焼酎作りが盛んなエリアでは、今でも新酒を祝う行事があります。
“新酒祭り”といって、各酒造が焼酎蔵を一般客へ開放。手作りの肴を用意して、
その年の「一番蔵出し」の焼酎を振る舞うという、実に結構なイベントです。
ところで、ここで豆知識。
焼酎に限らず清酒も、燗をします。
酒に燗をつけると、アルコールと微量成分や水との混和が促されます。
つまり、燗というのは人為的に「熟成」をさせるという事なのです。
焼酎であれ清酒であれ、日本の酒には泡盛を例外として、
長期間熟成させた古酒がない。
また、一方で、焼酎市場が増大した明治期に当局は、
価格の維持のために製造者に製造制限を課したことがあります。
具体的には10月から翌4月まで。
その製造期間を、都合よく蒸留期間に変更され、
それが制限となったという歴史もあります。
長間貯蔵に挑んだ小正嘉之助
そんな中、本来蒸留酒は貯蔵すると旨くなると信じ、長間貯蔵に挑んだ人がいました。
その人物は、小正嘉之助(こまさ かのすけ)といいます。
当時は物好きという目で見られて、周りからは「小正の道楽」といわれていました。
しかし、彼の執念は凄まじく、1951年(昭和26年)に米焼酎の貯蔵を開始し、
1957年(昭和32年)には遂に熟成焼酎(6年もの)の「メローコヅル」を完成。
嬉しさのあまり(?)嘉之助は、その完成品を「酒の神様」といわれ、
文化勲章受賞者の坂口謹一郎東大名誉教授に送りました。
すると、坂口教授から思いがけず返事があり
「うまさけは ふるきぞよきと さきかけて かみいてませし ことそたうとき」
と詠われた色紙が彼の元に。
嬉しさのあまり、更なる品質の向上を誓ったのでした。
「メローコヅル」の完成から25年後の1982年(昭和57年)に、
田苑酒造が樽貯蔵熟成した焼酎を発表します。
そして1985年(昭和60年)、ついに黒木酒造(鹿児島県大口市)が
「百年の孤独」をリリースして、樽貯蔵熟成が焼酎の頂点、
否、新たな焼酎ブームを巻き起こしたのです。
焼酎は何度かブームを巻き起こしますが、
「百年の孤独」ブームはこれまでと一味違います。
それは、狙ったターゲット。
戦う場所を、焼酎市場ではなく、「琥珀色」市場に変えたのです。
もっと言うと、「琥珀色」の蒸留酒を「外食で多飲」する層。
その証拠に、「百年の孤独」のビジュアルは首のないイカリ肩という変わった形の瓶に、
おしゃれなラッピングが施されています。
「本格焼酎」という文字がなければ、洋酒と見間違ってもおかしくない。
さらにコスパがブームのブースターとなりました。
「琥珀色」の蒸留酒を「外食で多飲」する層にとって、
売価10,000円の「百年の孤独」はコスパが良すぎた。
そして、このブームがあらぬところに飛び火するのです。
イギリスからのクレーム
当時のウイスキーは、とても高い酒税がかけられていました。
それは何も日本だけに限ったことでなく、各国にも
醸造酒=大衆酒
蒸留酒=高級酒
との認識があります。
高級酒である蒸留酒には、大衆酒である醸造酒より税率が高い傾向がありました。
贅沢税といわれるように、贅沢品である高級酒には高い税率が課せられるのは、
どこの国も同じなんです。
ちなみに、今でも大衆酒であるワイン(醸造酒)に酒税をかけてない国は多いです。
原料のブドウは農作物なので、その保護の観点からみても税金を
課すことにはためらいがあるからです。
日本も大衆酒には酒税税率は低く、という考えはありました。
そしてここが問題。
世界では蒸留酒は高級であるのに、日本において蒸留酒は大衆酒だったのです。
そして、イギリス政府のご登場。
まずは、当時のサッチャー首相が竹下首相にジャブを打ちます。
ウイスキーの酒税に比べ、同じ蒸留酒である焼酎の税率が低いのはおかしい、と言ってきます。
酒税の制度変更を迫り、制度変更をしないのならGATTに提訴する!と脅しました。
その結果、脅しを受けた日本政府は、1989年(平成元年)、本格焼酎の税率を1リットル(25度)当たり
50円90銭から70円80銭に引き上げたのです。
執拗なイギリス
その後、1994年(平成6年)までの5年間に焼酎の酒税率は倍増し、
ウィスキーの酒税率は半分以下に減らされました。
ところが!
イギリスは各国を巻き込んで欧州連合に拡大させ、なおも6対1の開きがあるとし、
WTO(世界貿易機関)に提訴したのです!!!
焼酎業界の激震度は想像するに恐ろしい。
結果は、2000年(平成12年)までに焼酎の税率をさらに2.4倍に引き上げ、
ウィスキーの税率を5%下げることで合意させられました。
大衆酒である焼酎の税率を、高級酒であるウィスキーの税率を
ほぼ同じにさせられたのです。
焼酎は価値があるからこそ飲まれていた
欧州各国によってゲームチェンジを余儀なくされた焼酎業界。
もともと、大衆酒として迫害(?)されていたにも関わらず、
海外からも迫害されたのです。
しかし、税率が引き上げられたことによって、消費が落ち込むことがなかったのです!
さらにブームが続いたのはご承知の通り。
このことは、日本の代表する蒸留酒である焼酎は、
安いから飲まれていたわけではないことの証明だったのです。
価値があるからこそ飲まれていたのでした。
本格焼酎の本質は、製造者の方々の原料の個性とそれを大事にするこだわりと、
なみなみならぬ努力にありますが、樫樽貯蔵することによって、
ヨーロッパの蒸留酒文化をもとりこんだとも言えるわけです。
すなわち、東西2つの蒸留酒文化の融合がはかられているわけで、
その夢とロマンが新しい樫樽貯蔵酒への潮流となっているといえます。
昭和のダルマに焼酎が、やっと追いついたのです。
この記事を書いた人
SHOCHU PRESS編集部
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