【コラム】コロナで消えゆく懐かしの焼酎
コラム : 飲兵衛家族の日々晩酌
1980年代の我が家のお話。
家族はテレビを前に集い、父親は毎晩晩酌を欠かさなかった昭和の時代です。
サラリーマン家庭には、週休2日という言葉もまだなく、一家の主人は毎晩ほろ酔いで帰宅するような日々でした。、
その頃、我が家に常備されていたお酒は、サントリーの焼酎「樹氷」でした。
平たい四角いクリアなガラスボトルに白樺のイラストが刷り込まれていて、当時でもなかなかおしゃれなデザインです。
「おしゃれねえ」と言っていたのも束の間、程なく「どん!」とビックサイズの瓶が登場するのが我が家の常。
小さな家の中でそれはなかなかの存在感でした。
とにかく量を飲む父が行き着くところは、コストパフォーマンス。
晩酌のお酒が、ビール・ウィスキーを経て、焼酎と行き着くのは当然の成り行きでしょう。
CMが牽引するアルコール業界
その頃のテレビのコマーシャルの影響力はとても大きいものでした。
お酒の宣伝はかなり艶っぽく、キャッチーな言葉で視聴者を惹きつけていました。
コピーライターという職種がもてはやされた時代でもあります。
「樹氷にしてねと、あの娘は言った」
当時漫画アクションで連載していた「柔侠伝」のヒロインである茜をイメージキャラクターに仕立てたC Mです。
その後のCMがまた秀逸。
女優の田中裕子さんが和服姿で登場し、粋で艶っぽく、さばけていながらもしどけない表情で言う言葉。
「タコなのよ タコ。タコが言うのよ。」
この印象的なCMに惹かれて購入した人が、どれだけいたでしょうか。
ましてや新商品好き、ややミーハーとも言える両親はすぐに飛びついていました。
「樹氷」を飲みながらCMの女優さんを眺めては、いい女だと鼻の下を伸ばして喜ぶ。
昭和の時代の親父の姿。
この頃の凄さは、CMのヒットに牽引されるようにタコをイラスト化し、それを採用した「タコハイ」という缶酎ハイまで発売されたことです。
業界の勢いを感じます。
樹氷が発売されたのは、1978年。
当時、サントリーは焼酎ではなく、スピリッツとして、品目を「マイルド・ウォツカ」にして販売していたようですね。
その前年に宝酒造の「純」が発売されています。
この「純」のCMは、デヴィット・ボウイやシーナ・イーストンを起用して、若者の心を鷲掴みにしました。
今考えても、広告宣伝に力の入った時代でした。
これらの商品が共にニュー・スピリッツとして、また酎ハイブームを牽引した商品でもあります。
「純」のボトルも時々我が家にありました。
またその頃、「松田聖子」さんが甘い声で歌う「スゥートメモリーズ」に乗せて、ペンギンのキャラクターがラブソングを歌う「ペンギンズバー」というビールのCMもありました。
それも発売初期の缶はペンギンのイラストでしたが、あまりにもCMが人気になったので、後にそのキャラクターが缶に起用されるようになりました。
可愛い缶のデザインは女子心を掴む、画期的な広告戦略です。
まさに時代はバブルに足をかけていました。
今ではお酒の広告に関するキャラクターの使用は厳しくなってしまいした。
親父のみから家族のみへ
父の飲み方は、夏以外は、ほぼお湯割りです。
なぜ、そうなのかというと、とにかく早いピッチで沢山いただく人なので、水割りやロックにするのが面倒なのだと思います。
湯沸かしポットを傍に置き、寿司屋でいただく超巨大な湯呑みに注いでぐいぐいと飲んでいました。
豪快の一言です。
私はその時は、効率的優先でお湯割りにしていたのだと思っていました。
なんと言っても父の口癖は「アルコールなんて、飲んで仕舞えば一緒だ。味なんかわかるか!」でしたので・・・
自分で本格焼酎をいただくようになって、お湯割りが最も香り高くいただけることを知ったので、結果として正解だったのですね。
飲兵衛恐るべし。
もしかしたら、ほろ酔いで帰宅していた父にとっては、酔い覚ましのお湯割りだったかもしれません。
家族構成で言えば、兄、私の順番でアルコール飲酒年齢に達すると、当然消費量が増えます。
家族の団欒は焼酎の大きなボトルと共に歩んでいました。
最後に父が一言「お前ら飲みすぎだ。」と叫んで、いそいそと寝床に瓶を抱えていってしまうのが毎晩の常です。
もちろん、寝静まった頃、そっと取り返しに行ったことは言うまでもありません。
それは私の役目。
懐かしき良き時代でしたね。
コロナで思い出し、コロナで終了
コロナ禍により、本格焼酎や甲類焼酎を自宅でも飲むようになりました。
昔飲んだ「樹氷」はどうしただろうか、最近見かけないなと思い探してみました。
ところが
なんと、販売終了とのこと。
なぜ
コロナ禍による医療逼迫により、アルコールが不足しているので、生産を医療用アルコールに変えるとのことです。
そういう臨機応変な対応ができるのも、大手企業ならではなのでしょう。
残念ですが、これも時代の流れ。
世の中が安定して「樹氷復刻版」が出ることを、心待ちにいたしましょう。
ちなみに、我が実家では1980年代中頃になると、「今度はこれにした。」と、一層大きなペットボトルで「どど〜ん」と登場したのは、アサヒビールから販売されている「大五郎」。
業務用かと突っ込みたくなる大きさでした。
さすがに寝床に持っていくのには厳しい大きさでしたね。
家族がそれぞれ別の所帯となった今、それぞれの家庭には、やっぱり大きな焼酎の紙パックが鎮座しています。
いずれも古き良き、お酒に少しだけ社会が緩かった昭和の時代の話です。
この記事を書いた人
森 由佳
食事とお酒を美味しく食べて飲めることを、人生の後半戦の目標に掲げています。家には常に焼酎のボトルが鎮座しているという環境で育ち、焼酎愛飲歴たっぷりのライターです。ざっくりとした視点で焼酎を語ります。
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