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大正・昭和の焼酎史|戦争と不況の時代を生き抜いた庶民の酒

江戸時代の焼酎とは?薩摩で育まれた焼酎文化と名産地の歴史

焼酎は、いつから日本で飲まれていたのか。
芋焼酎は江戸時代から存在していたのか。
薩摩の人々は、どのように焼酎を造り、飲んでいたのか。

江戸時代の史料をひもとくと、焼酎はすでに人々の暮らしに深く根づき、地域ごとの個性を持った酒として発展していたことがわかる。本記事では、江戸時代の焼酎の実像を、原料・製造・生活文化・名産地という観点から整理し、現代につながる焼酎文化の原点を読み解いていく。

江戸時代以前から存在していた焼酎

焼酎の存在を示す最古級の資料として知られるのが、鹿児島県伊佐市・郡山八幡神社に残る永禄2年(1559年)の落書である。
この木札には、焼酎を飲ませてもらえなかったことへの不満が書き残されており、16世紀半ばにはすでに薩摩の地で焼酎が造られていたことがわかる。

ただし、この時代の焼酎は芋焼酎ではない。
サツマイモが日本にもたらされるのは17世紀初頭であり、焼酎の原料は主に米や雑穀だったと考えられている。

芋焼酎はいつ誕生したのか

サツマイモは、救荒作物として薩摩に広まり、やがて酒造りにも利用されるようになる。
しかし、芋焼酎が本格的に普及するのは江戸時代後期に入ってからである。

それ以前の薩摩では、

・米焼酎
・雑穀焼酎
・粟・黍・稗などを使った焼酎
が主流だった。

18世紀後半、紀行家・橘南谿の『西遊記』には、薩摩の人々が日常的に焼酎を飲み、米の酒は祝儀用であったこと、さらに「琉球芋(サツマイモ)でも焼酎を造っている」という記述があり、この頃にはすでに芋焼酎が登場していたことが確認できる。

焼酎は生活に根づいた“家庭の酒”だった

江戸時代の薩摩では、焼酎は特別な酒ではなく、生活の一部だった。

多くの家庭では、
・味噌
・醤油
・焼酎
を自家製しており、焼酎造りは主婦の腕の見せどころでもあった。
城下町では、「良い焼酎を造れること」が武家の女性の条件とまで言われ、焼き上がった焼酎を近所で味わい合うことが社交の場にもなっていた。

一方で、焼酎屋も存在し、販売には藩の監督が入り、新酒は役人の試飲を経なければ売ることができなかった。焼酎はすでに商品として流通し、管理される酒でもあったのである。

江戸時代の焼酎名産地:阿久根と大姶良

江戸後期の地誌『三国名勝図会』によると、薩摩の焼酎の名産地として特に名高かったのが阿久根と**大姶良(現在の鹿屋市)**である。

阿久根焼酎

阿久根焼酎は、江戸や大坂にまで出荷され、「阿久根焼酒」の名で広く知られていた。
味わいは「辛烈」と記され、琉球との交易によって製法が伝わったとも記録されている。

大姶良焼酎

大姶良の焼酎は泡盛に似た強さを持ち、藩主・島津光久が「やぶれめっき」と名づけたという逸話が残る。
この焼酎もまた辛口で、当時の高級酒のひとつとして扱われていた可能性が高い。

いずれも、この時代はサツマイモ伝来以前であり、原料は米焼酎だったと考えられる。

江戸時代の焼酎の味わいとは

史料によると、江戸時代の焼酎はしばしば「辛烈」と表現される。
一方で、橘南谿は薩摩の焼酎を「京都の焼酎ほど強くなく、芋焼酎は味が良い」とも書いている。

つまり江戸時代にはすでに、
・産地ごとの違い
・原料ごとの個性
・味の評価
が存在しており、焼酎は単なる強い酒ではなく、味わう酒として認識され始めていたことがうかがえる。

焼酎と並んで存在した薩摩の酒文化

薩摩=焼酎、というイメージは現代のもので、江戸時代には他の酒も造られていた。
腐敗を防ぐために灰を加えた「灰持酒(地酒)」は、料理酒としても使われ、「酒ずし」などの郷土料理に残っている。

また、鹿屋の清酒「桜川」は名酒として知られ、上客をもてなす酒として藩内で重宝された。
つまり薩摩では、焼酎を中心にしながらも、複数の酒文化が共存していたのである。

まとめ|江戸時代は焼酎が“庶民の酒”として完成した時代

江戸時代の焼酎は、
・米や雑穀を原料に誕生し
・江戸後期に芋焼酎が登場し
・家庭に根づき
・名産地が生まれ
・商品として流通した
ことで、日本独自の蒸留酒文化として成熟していった。

焼酎は、単なる代用品の酒ではなく、地域の暮らしの中で磨かれた“生活文化の酒”であり、現代の本格焼酎ブームは、すでに江戸時代にその原型が築かれていたと言えるだろう。

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