
東京下町の焼酎ハイボールとは|立石・葛飾にもつ焼き文化が根づいた理由
東京・下町の酒場で親しまれてきた「焼酎ハイボール」。
ウイスキーでもホッピーでもない、焼酎ベースの炭酸割りは、立石や葛飾を中心に独自の文化を育んできました。
その背景には、荒川放水路と工場労働者の歴史が。
この記事では、下町ハイボール誕生の理由をひもといてみます。
目次
下町ハイボールとは何か
「東京・下町、とりわけ隅田川以東の葛飾や京成線沿線では、もつ焼き屋や大衆酒場で「焼酎ハイボール」が親しまれてきました。
ウイスキーを使ったハイボールでも、ホッピーでもない、焼酎をベースにした炭酸割り。
ここでは便宜的に、このスタイルを「下町ハイボール」と呼びます。
下町ハイボールの味を決める最大の要素は、焼酎そのものよりも加えられるエキス。
主にレモンやウメが用いられ、業務用の専用エキスも存在しますが、その配合は店ごとの企業秘密。
シンプルでありながら、店ごとに個性がはっきりと現れるのが特徴です。
焼酎ハイボールが根づいた「地域性」
隅田川以西でも「酎ハイ」「焼酎ハイボール」と呼ばれる炭酸割りは、もちろん存在します。
しかし、誕生の経緯や分布の濃さを考えると、それらは下町ハイボールの派生、あるいは亜流と見るのが妥当といえます。
焼酎ハイボールが面的に広がり、文化として定着したのは、工場労働者が集中していた隅田川以東の地域。
点在的ではなく、京成線沿線を中心に連続した分布を見せていたことが、この酒が地域性の強い飲み物であることを物語っています。
焼酎ハイボールとホッピーの違い」
下町酒場を代表する飲み物として、焼酎ハイボールと並び語られるのが「ホッピー」が有名です。
しかし両者は、誕生の背景も役割も異なります。
ホッピーは、戦後のビール代用品として誕生し、焼酎にホッピーを注いで飲むスタイルが定着しました。
一方、焼酎ハイボールは、GHQが飲んでいたウイスキーハイボールの代替として生まれた飲み物です。
つまり、ホッピーは“ビールの代わり”、焼酎ハイボールは“ウイスキーハイボールの代わり”という位置づけになります。
また、焼酎ハイボールはレモンや梅などのエキスによって味が決まり、店ごとの個性が際立つのが特徴。
ホッピーが「中・外」のバランスで楽しむ飲み物だとすれば、焼酎ハイボールは店の数だけ味がある下町のローカルドリンクといえるでしょう。
「下町」の範囲は時代とともに変わる
しばしば「隅田川の向こうは下町ではない」と語られることがありますが、これは歴史的には正確とは言えません。
江戸の都市域は、明暦の大火(1657年)以降、復興と災害を繰り返しながら拡張を続け、隅田川以東へと広がっていきました。
1818年に作成された「江戸朱引図」を見ても、都市域が中川・古綾瀬川付近まで拡大していることが確認できます。
つまり、下町の範囲は固定されたものではなく、時代とともに変化してきた概念なのです。
この視点を踏まえれば、隅田川以東に独自の飲酒文化が育まれたことは、きわめて自然な流れだといえるでしょう。
もつ焼きの「もつ」はなぜ豚なのか
下町の酒場文化を語るうえで欠かせないのが「もつ焼き」です。
関東、とりわけ葛飾では、「もつ焼き」という呼び名が色濃く残り、現在も使われています。
ここで使われる「もつ」は、主に豚の内臓です。
もともと「もつ焼き」は、鶏の内臓を串焼きにしたものが原型とされます。
戦前から戦後にかけて、安価で滋養のある食材として豚もつが普及し、下町の大衆的な料理として定着していきました。
荒川放水路が生んだ食と酒の文化
隅田川以東のもつ焼き文化と焼酎ハイボールの成立には、荒川放水路の開削という大きな歴史的背景があります。
1913年(大正2年)から始まった放水路工事には、多くの労働者が集まり、工事終了後もこの地域に定住しました。
彼らの生活を支えるため、安価で栄養価の高い豚もつを使った料理が生まれ、同時に、甲類焼酎を炭酸で割った焼酎ハイボールが考案されます。
これは、労働者の疲れを癒やすための、合理的で実用的な飲食文化でした。
GHQと焼酎ハイボールの誕生
戦後、GHQの進駐によって、ウイスキーを炭酸で割る「ウイスキーハイボール」が東京の街に持ち込まれます。
しかし、当時の日本ではウイスキーは高嶺の花でした。そこで、代用品として生まれたのが焼酎ハイボールなのです。
もつ焼きが「やきとり」の代用品として広まったのと同様に、焼酎ハイボールもまた、時代と状況が生んだ必然の飲み物だったといえるでしょう。
なぜ立石は「千ベロの聖地」になったのか
隅田川以東全域に、もつ焼きと焼酎ハイボールの文化が広がったからといって、立石だけが特別な存在になったわけではありません。
立石が「千ベロの聖地」と呼ばれるまでには、時間をかけた文化の蓄積と、地域固有の事情がありました。
もつ料理と焼酎ハイボールは、同時に一気に広まったのではなく、戦前から戦後にかけて徐々に形づくられていったものです。
その過程を今も色濃く残している店のひとつが、「宇ち多゛」に代表される立石の酒場なのでしょう。
まとめ
もつ焼きと焼酎ハイボールは、単なる大衆酒場の定番メニューではありません。
荒川放水路の開削、工場労働者の集積、戦後の占領期という歴史の積み重ねの中で、東京下町に根づいた生活文化そのものです。
立石や葛飾で飲まれる一杯の焼酎ハイボールには、この街で働き、暮らしてきた人々の時間が溶け込んでいます。
下町酒場を訪れるときは、ぜひその背景にも思いを巡らせながら、もつ焼きとともに味わってみてくださいね。
この記事を書いた人
SHOCHU PRESS編集部
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