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連1980年代の焼酎ブームを紐解く|「白色革命」と甲類焼酎の進化

1980年代の焼酎ブームを紐解く|「白色革命」と甲類焼酎の進化

近年、本格焼酎(乙類)が高い人気を誇っていますが、日本の焼酎史において欠かせないのが1980年代に巻き起こった「焼酎甲類」の大ブームです。

かつては「労働者の酒」というイメージが強かった焼酎が、なぜ若者や女性に支持されるファッショナブルな飲み物へと変貌を遂げたのでしょうか。その背景には、アメリカから押し寄せた**「白色革命(ホワイト・レボリューション)」**という大きな波がありました。

1焼酎甲類のルーツと「新式焼酎」の誕生

焼酎甲類は、もともと「新式焼酎」として誕生しました。
明治33年(1900年)に、神谷伝兵衛商店がヨーロッパから連続式蒸留機を導入したのが始まりです。
その後の「新式焼酎」には下記の変遷があり、ジワジワと日本国内での支持を拡大していきます。
技術の進歩: 蒸留技術の向上により、不純物を取り除いた純度の高いアルコール(ピュアなスピリッツ)の精製が可能に。
イメージの払拭: 戦後の混乱期には粗悪な焼酎が出回ったことでネガティブな印象もありましたが、後に登場する「マイルドでピュア」な新世代の甲類焼酎が、その暗いイメージを鮮やかに塗り替えていくことに。

アメリカから上陸した「白色革命」の影響

1970年代、アメリカの酒類市場で劇的な変化が起こりました。それまで圧倒的なシェアを誇っていたバーボン(ブラウンスピリッツ)を抜き、無色透明なウォッカ(ホワイトスピリッツ)が消費量1位に躍り出たのです。
この消費行動は、「白色革命(ホワイト・レボリューション)」と呼ばれています。

なぜウォッカが支持されたのか?

ウォッカは無味無臭でクセがないため、ジュースで割ったりカクテルにしたりと、飲み手の好みに合わせて自由にアレンジできました。
また、ジュースや炭酸といった割材の分量次第で、アルコール度数も自由自在に。
この「自分流に楽しめる」スタイルが、当時の若者や女性のライフスタイルに合致したのです。

日本版「白色革命」の火付け役、宝酒造の「純」

このアメリカの潮流をいち早く察知したのが宝酒造でした。
1977年(昭和52年)、彼らは満を持して新しい甲類焼酎「純」を開発・販売を開始します。

洗練されたデザイン: 従来の焼酎のイメージを覆すおしゃれなボトルを採用。
ピュアな味わい: 「アロスパス式蒸留」による純度の高いアルコールを訴求。
戦略的な呼称: 清潔感のあるイメージから、甲類焼酎は**「ホワイトリカー」**として親しまれるようになりました。

これをきっかけに、焼酎を炭酸で割る「酎ハイ」や果汁を加える「焼酎サワー」が彗星のごとく登場。
焼酎は「ライト感覚で楽しむファッショナブルな酒」として、若い世代の間に定着していきました。

独自の進化を遂げた「本格焼酎」との住み分け

甲類焼酎が「ホワイトリカー」として脚光を浴びる一方で、原料の風味を活かす乙類焼酎もまた、新たな道を歩み始めます。

一方、単式蒸留で製造する甲類焼酎は、あえて「ホワイトリカー」とは名乗らず、伝統製法を強調する「本格焼酎」という呼び名を確立しました。
当時、品質が安定しないでいた乙類焼酎にとって、「ホワイトリカー」ブームを市場拡大を契機とした酒蔵もあったといいます。
ただ1985年(昭和60年)以降は、この本格焼酎も蒸留技術の向上によって品質が安定し、現在に続く大きな市場を形成することとなります。

まとめ:多様性の時代の先駆けとなった甲類ブーム

1980年代の甲類焼酎ブームは、単なる流行に留まらず、「お酒を自分の好みに合わせて自由に楽しむ」という新しい飲酒文化を日本に根付かせました。

ドライでクセがなく、どんな割り材とも相性が良い甲類焼酎。
そのポテンシャルを見抜いたメーカーの努力と、世界的な「白」へのシフトが重なり合ったことで、今日の豊かな焼酎文化が築かれたといえるでしょう。

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