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焼酎の起源を探る:蒸留技術の誕生から日本伝来までのルートを解説

焼酎の起源を探る:蒸留技術の誕生から日本伝来までのルートを解説

「焼酎」は私たち日本人にとって馴染み深いお酒ですが、そのルーツがどこにあるかご存知でしょうか?
実は、焼酎の命ともいえる「蒸留」の技術は、紀元前3500年頃の古代メソポタミアまで遡ります。

今回は、文明の曙光とともに生まれた蒸留技術が、どのような航跡をたどって日本に伝わり「焼酎」となったのか、その壮大な歴史ロマンを紐解いていきましょう。

蒸留技術の誕生は酒造りから始まったわけではない

蒸留という技術の起源は非常に古く、紀元前3500年頃には、古代メソポタミア文明においてすでに蒸留が行われていたと考えられています。
遺跡からは、壺状の蒸留装置とみられる土器が発見されており、当初は花や植物を原料に香油や薬品、スパイスを精製する目的で用いられていました。

つまり、蒸留技術や蒸留器は、酒を造るために発明されたものではありません。
これは後に各地で蒸留酒が誕生していく歴史を理解するうえで、重要な前提といえます。

蒸留酒は西から東へ、陸路で広がった

蒸留技術を用いて酒が造られるようになった時期については諸説ありますが、西方よりも東方の方が早かったとする見方が有力です。
蒸留酒は、西アジアを起点にインドへ伝わり、さらにインド半島の山岳地帯を経由して、中国南西部へと広がっていったと考えられています。

特に注目されているのが、インドからベンガル、アッサム地方を経て、インドシナ半島北部の山岳地帯を北上し、雲南・貴州高原へ至るルート。
この経路は、蒸留酒の分布や呼称、製法の共通点ともよく一致しています。

一方、西域経由説や海上経由説も唱えられてきましたが、西域地域や中国沿岸部には古くから蒸留酒の文化が確認されていないため、主流説とはなっていません。

中国で蒸留酒が定着したのは元代以降

中国では、古代から蒸留技術そのものは存在していました。
香水や蒸留水、錬金術に用いられる水銀などがその例です。
しかし、それを酒造りに本格的に用いた記録が確認されるのは、13〜14世紀の元代以降とされています。

当時の文献には、「焼酒」「白酒」と呼ばれる蒸留酒が南方から伝わったことが記されており、その名称や製法は、西アジア由来の蒸留酒文化と深い関係を持っています。
これらの呼称は、アラック系蒸留酒に由来する音訳であると考えられています。

蒸留酒はどのように日本へ伝わったのか

蒸留酒が日本に伝来し、やがて焼酎へと発展していく経路については、いくつかの説があります。

⚫︎南方の山岳民族を経由した陸路説
⚫︎朝鮮半島を経由する北方陸路説
⚫︎東南アジアから琉球を経由する海上ルート説
⚫︎東南アジアから直接日本へ伝わったとする説
⚫︎西アジア・ヨーロッパ経由説

これらの中で、原料、蒸留器、製法、年代の整合性から最も有力とされているのが、タイ(シャム)から琉球を経て日本へ伝わった海上ルート説です。

琉球が果たした決定的な役割

15世紀以降、琉球は東南アジア、中国、朝鮮、日本を結ぶ交易の要衝として繁栄していました。
琉球の交易船は各地の特産品を中継し、その中に蒸留酒や蒸留技術も含まれていたと考えられています。

シャムとの交易を通じて、琉球では蒸留酒の製造技術が定着し、やがて泡盛が誕生します。
15世紀後半には酒の輸入量が減少していることから、この時期に泡盛の自家生産が始まったと推測されています。

泡盛は米を原料とし、風味や製法において東南アジアの蒸留酒と共通点が多く見られます。
現在でもタイ米を使用する蔵元が多いことは、その歴史的背景を物語っています。

泡盛から焼酎へ、日本独自の発展へ

琉球王府は泡盛を重要な交易品・献上品として管理し、やがて薩摩藩や江戸幕府へと伝えられました。
これを契機に、蒸留酒は日本本土にも広まり、各地の風土や原料に合わせて独自に進化していきます。

こうして、日本の焼酎文化は、古代の蒸留技術と東南アジア・琉球の交流を背景に成立し、現在に至る多様な焼酎の世界へとつながっていったのです。

まとめ/h3>
西アジアで生まれ、インドシナ半島の山岳地帯を越え、海を渡って琉球、そして九州へ。
焼酎の一滴には、数千年にわたる人類の知恵と交流の歴史が凝縮されています。

今夜、焼酎をグラスに注ぐ際は、その遥かなる旅路に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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