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キンミヤ焼酎」はなぜ人気?なぜ旨い? |「キンミヤ焼酎」の魅力をご紹介

「キンミヤ焼酎」はなぜ人気?なぜ旨い? |「キンミヤ焼酎」の魅力をご紹介

2026-01-06

「キンミヤ焼酎」の通称で親しまれている、亀甲宮焼酎。
チューハイブームの再来とともに、いま注目されている甲類焼酎の人気ブランドです。
コンビニやスーパーのお酒コーナーで見かける方も多いと思います。
今回は「キンミヤ焼酎」の魅力をご紹介します。

キンミヤ焼酎とは?下町で愛される理由と味の特徴

居酒屋を中心に、庶民の酒として長年親しまれてきた「キンミヤ焼酎」。
正式名称は「亀甲宮(きっこうみや)焼酎」ですが、ひと目で印象に残る金色の亀甲紋ラベルから、いつしか「キンミヤ」の愛称で呼ばれるようになりました。特に東京の下町では、定番の焼酎として広く愛されています。

東京下町を中心に多くの焼酎ファンに支持され続けている理由は、そのクセのないまろやかな味わいにあります。
甲類焼酎の中でも質が高いと評価され、割り材の風味を邪魔しない点が常に高い評判を集めています。

手頃な価格であることはもちろん、飲み口の良さから、酒や料理にこだわる居酒屋が選ぶ甲類焼酎の代表格としても知られています。
クセや臭みがないため、ホッピーをはじめ、フルーツ系やお茶系など、どんな割り材とも相性が良く、楽しみ方は無限大。

また、ドリンクとしてだけでなく料理との相性も抜群。
和食はもちろん、創作料理や多彩な食材を扱う居酒屋でも合わせやすい点が、人気を支える大きな理由のひとつです。
また、二日酔いしにくいといわれる点も、つい杯が進んでしまう呑兵衛たちから支持される理由と言えるでしょう。

キンミヤ焼酎はなぜ東京で人気?

キンミヤ焼酎を製造する宮崎本店は、三重県にある酒蔵です。三重県から東京都までは約308kmあり、車で移動するとおよそ5時間を要します。
決して近い距離とはいえません。それにもかかわらず、なぜキンミヤ焼酎は東京で長く愛され続けてきたのでしょうか。
その理由をひもとく鍵は、宮崎本店のある「三重県」と「東京」の歴史的なつながりにあります。

現在の物流は陸路や空路など多様な手段がありますが、機械化が進む以前は海路が物流の中心。そのため、各地から東京(当時の江戸)への物資の輸送も海路がメイン。
特に、江戸に次いで人口の多かった大坂からは、定期輸送船である「樽廻船(たるかいせん)」が運航されていました。
この樽廻船が経由していたのが、現在の三重県にあたる志摩国だったのです。

大坂で積み込まれた酒やさまざまな物資とともに、経由地だった三重県の焼酎も江戸へと運ばれていました。
ちなみに、樽廻船は当時では国内最大級の大型船で、一隻あたり約3,000樽もの酒樽を積載できたといわれています。
江戸時代、三重県には32軒もの焼酎酒造場が存在していました。
そこで造られた焼酎は、「樽廻船」によって江戸へ届けられ、時代を超えて現在の東京へと受け継がれてきたのです。

また、東京と三重県の歴史的なつながりには、まだ続きがあります。
それは、1923年に発生した関東大震災時でのこと。関東大震災時は、マグニチュード7.9の巨大地震で死者・行方不明者は10万人以上、焼失した家屋は29万棟を超える未曽有の災害でした。

この関東大震災の際、宮崎本店の当時のスタッフは、被災者のために樽廻船を使って焼酎だけでなく、水や食料、木材などの物資を運んだといわれています。
こうした心温まる支援が、「キンミヤ焼酎」の東京での人気を支えていたのです。

なぜキンミヤ焼酎は酒場で選ばれるのか

キンミヤ焼酎が関東で広く浸透した理由は、その味わいにもあります。では、なぜこれほどまでに高い評価を受けているのでしょうか。その美味しさの秘密は、ずばり「水」にあります。

宮崎本店の酒蔵で使用されているのは、鈴鹿山系の伏流水による超軟水。
粒子が非常に細かいため、口あたりはやわらかく、クセのない澄んだ味わいが特長です。
そのため、ブレンドする素材となじみやすく、どんな割り材とも相性抜群。多くの酒場で、さまざまなチューハイとして提供されているのも納得です。

さらに、キンミヤ焼酎の人気を支える理由のひとつに「ラベルのかっこよさ」が挙げられます。中央に大きく配された亀甲印のレトロなデザインは、実に100年以上前から使われているもの。驚くことに、この意匠のデザイナーはいまだ不明なのだそうです。

とはいえ、このラベルが貼られたボトルが酒場の空間を渋く演出していることは間違いありません。
今後も、キンミヤ印の看板を掲げる店は、さらに増えていくことでしょう。

甲類焼酎の歴史を切り拓いたキンミヤ焼酎

宮崎本店は、1846年(弘化3年)創業の老舗蔵。およそ180年にわたり、三重県四日市市楠町の地で焼酎造りの歴史を刻んできました。
この地は、鈴鹿山系の良質な水に恵まれた土地として知られています。
焼酎造りに欠かせないこの水資源を背景に、江戸時代には32軒もの焼酎酒造場が軒を連ねる一大酒造地帯として栄えました。

焼酎といえば鹿児島や宮崎など九州地方のイメージが強いですが、実は中部地方に位置する三重県でも、焼酎造りが盛んに行われていたのです。
ただし、地元消費が中心だった九州とは異なり、三重の焼酎は、前述のとおり東京(江戸)へ移出されていた点が大きな特徴です。

現在では、このエリアの酒蔵は、宮崎本店が引き継ぎ、敷地面積は約8,000坪にも及ぶ規模へと発展。
昭和初期に建てられた貯蔵庫や倉庫に残る重厚な黒壁が、長い酒造りの歴史と風格を今に伝えています。

キンミヤ焼酎は、甲類焼酎として分類されますが、その中でも屈指の歴史を誇っています。
現在、甲類焼酎の製造に欠かせない連続式蒸留機は、1826年にスコットランドで開発され、日本へは1894年に初めて輸入されています。

宮崎本店がこの連続式蒸留機を導入したのは、大正時代の1920年代初頭。
もともと連続式蒸留機の輸入は、日清戦争前後の時代背景の中で、火薬製造に必要な高純度アルコールの生産を目的としたものでした。
そのような中、宮崎本店はいち早く焼酎造りに連続式蒸留機を取り入れた、当時としては非常に先進的な取り組みを行っていたのです。

まとめ

いかがでしたか。
「キンミヤ焼酎」は確かな味わいと共に、「樽廻船」でいち早く東京へ流通した甲類焼酎だったのです。
加えてコスパよく、料理との相性も良いので東京下町で古くから支持されていたのです。
この記事を読んで、ぜひ、「キンミヤ焼酎」の魅力を改めて味わってみてください。

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