
薩摩酒造と「さつま白波」の歴史|芋焼酎ブームを牽引した老舗焼酎蔵
「さつま白波」で知られる薩摩酒造は、なぜここまで長く、そして広く支持されてきたのでしょうか。
鹿児島の一焼酎蔵に過ぎなかった同社は、焼酎のイメージが決して良くなかった時代から、芋焼酎の価値を信じ、全国市場を切り拓いてきました。
本記事では、薩摩酒造の創業背景から「白波」誕生の秘話、焼酎ブームとの関係、そして「ロクヨンのお湯割り」に象徴される飲用文化までを、歴史とファクトをもとにわかりやすく解説します。
焼酎の今を知るうえで欠かせない、薩摩酒造の歩みを紐解いていきましょう。
目次
薩摩酒造とは?「さつま白波」で知られる老舗焼酎メーカー
薩摩酒造株式会社(鹿児島県枕崎市)は、本格芋焼酎「さつま白波」で全国的に知られる老舗焼酎メーカーです。
会社設立から90年以上にわたり、「南薩摩焼酎」の伝統製法を守り続ける一方、先進的なマーケティングと商品展開で芋焼酎市場を全国区へと押し上げてきた存在でもあります。
焼酎は2003年に酒類消費量で日本酒(清酒)を上回り、現在に至るまで主要酒類の一角を占めています。
その流れをつくってきた焼酎ブームの裏側には、薩摩酒造と「さつま白波」の存在があります。
焼酎ブームの変遷と「さつま白波」の役割
戦後しばらくの間、焼酎は「バクダン・カストリ焼酎」の印象から、安価で粗悪な酒というイメージを持たれがちでした。
しかし1970年前後、福岡を中心に第一次焼酎ブームが起こります。その中心にあった銘柄が「さつま白波」だったのです(白波ブーム)。
1970年代後半にはそば焼酎が話題となり、1980年代には甲類焼酎を果汁や炭酸で割った「酎ハイ」が若者・女性層に浸透。
大手メーカーの缶チューハイ参入もあり、焼酎は全国的なお酒へと人気が高まってきました。
その後、単式蒸留機で造られる本格焼酎の価値が見直され、マイルドな味わいの麦焼酎が第二次ブームを形成。
さらに2003年頃からは、香りと個性を重視する流れの中で芋焼酎が再評価され、第三次焼酎ブームへと突入。
清酒から甲類焼酎、そして本格焼酎へ。
芋・そば・麦を経て、再び芋へ――。
その消費の流れの中で常に存在感を放ってきたのが、「さつま白波」と薩摩酒造なのです。
薩摩酒造の創業と「白波」誕生の背景
薩摩酒造の原点は1936年(昭和11年)。本坊酒造株式会社(現・本坊酒造グループ)が、枕崎市にあった焼酎製造所を引き継いだことから始まります。
同年6月、兄弟会社として薩摩合同酒精株式会社が設立され、従業員10名余、生産量360キロリットルという小規模な焼酎蔵としてスタート。
戦後の1949年、社名を現在の「薩摩酒造株式会社」に変更。戦中・戦後の原料不足という厳しい時代を乗り越えながら、地道に焼酎造りを続けてきました。
1953年、枕崎市の芋焼酎メーカーが倒産し、その設備とともに引き継がれた主力銘柄が「白波」でした。
これを「さつま白波」として再スタートさせたところ人気は急上昇。薩摩酒造の看板ブランドへと成長していったのです。
1954年以降、鹿児島県内の焼酎業界は供給過剰により長期の生産調整に突入します。
薩摩酒造は他社から生産枠を譲り受けながら出荷量を確保すると同時に、芋焼酎の香り・味わい・飲みやすさの研究を重ね、品質向上と商品差別化を推進。
この時代に培われた研究開発型の姿勢が、後の全国展開とブランド確立の土台となっていたのでした。
福岡市場から全国展開へ|テレビCM戦略
生産調整解除後、薩摩酒造が最初に本格開拓した市場が福岡。
鹿児島勤務経験のある転勤者が多く、口コミによる拡散が期待できたためといわれています。
落語家・柳家金語楼を起用したテレビCMは大きな話題を呼び、福岡を中心に焼酎人気が急拡大。
売上は数年で倍増し、1975年には新蒸留所の建設に踏み切りました。
続いて東京・大阪へ進出。
俳優・菅原謙次を起用したCMや、交通広告・球場広告など大規模なプロモーションを展開して、「さつま白波」は全国ブランドへと成長していったのです。
「ロクヨンのお湯割り」が生んだ飲用文化
薩摩酒造が全国展開の中で打ち出した提案が、「白波はロクヨンのお湯割りで」という飲み方。
焼酎6:お湯4の比率は、香りと甘みが立ちやすく、家庭でも簡単に作れるスタイルでした。
前割りや燗付けが主流だった時代に、「誰でもすぐ飲める焼酎」という価値を提示したことで、家庭消費は一気に拡大。この“ロクヨン文化”は現在でも、芋焼酎の定番スタイルとして定着。
発売2年目には出荷量が3倍に達し、以後も薩摩酒造は焼酎ブームとともに成長を続けています。
まとめ
薩摩酒造の歩みは、単なる一企業の成長史ではなく、日本の焼酎文化そのものの変遷でもあります。
伝統製法を守りながらも、時代に合わせた市場開拓と飲み方提案を行い、「さつま白波」を全国ブランドへと育て上げたのです。
福岡から始まったブーム、全国展開を支えた広告戦略、そして“ロクヨンのお湯割り”という文化の定着。
そのすべてに共通するのは、「焼酎をもっと身近な存在にしたい」という一貫した思想です。
焼酎が今なお多くの人に親しまれている背景には、薩摩酒造の挑戦と積み重ねがあったのでした。
「さつま白波」は、これからも芋焼酎の定番として、日本の酒文化を支え続けていくでしょう。
この記事を書いた人
SHOCHU PRESS編集部
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