
戦争とともに姿を変えた焼酎 ― 昭和初期から戦後復興期の知られざる歴史
「焼酎は、戦後の安い酒」
そんなイメージを持つ人は、今でも少なくないかもしれません。
でも実はその背景には、戦争によって“酒”であることを奪われた焼酎の歴史がありました。
昭和初期から終戦直後にかけて、焼酎業界は“飲み物”ではなく“軍需物資”として国家に組み込まれていきます。
目次
アルコール専売制と、焼酎の危機
昭和12年(1937年)、日中戦争が本格化すると、日本は深刻な燃料不足に陥ります。
そこで目をつけられたのがアルコールでした。
軍用燃料として無水アルコールを使用するため、政府はアルコールを国家管理下に置き、アルコール専売制を強行します。
このとき、新式焼酎(現在の甲類焼酎)も専売対象に組み込まれかけました。
業界団体は猛反対し、政権交代や主税局トップの判断もあり、最終的に焼酎そのものは専売を免れます。
とはいえ現場では、もはや「酒を造る」状況ではありませんでした。
全国の酒蔵が“燃料工場”になった時代
専売制と同時に、国営アルコール工場が全国13か所に設置され、
さらに多くの民間企業が軍需指定工場として動員されます。
宝酒造、合同酒精、本坊酒造をはじめ、酒類メーカーだけでなく、製薬会社や食品会社までがアルコール製造に組み込まれました。
戦局が悪化すると、原料は甘藷から南方産の砂糖やトウモロコシへ。
やがて清酒工場、ビール工場、ブタノール工場に至るまで、あらゆる酒類工場がアルコール製造に転用されていきます。
焼酎はこの時期、もはや「飲み物」ではなく、燃料そのものでした。
酒が飲めない時代
昭和16年以降、酒税は何度も大幅に引き上げられ、
一般の人が晩酌できる量も価格も、完全に現実離れしていきます。
結果、各社は酒類製造をほぼ停止。
経営の軸はすべてアルコールへ移り、業界は存続すら危うい状態に追い込まれました。
大手3社(宝酒造・合同酒精・大日本酒類醸造)は合併も模索しますが実現せず、代わりに協力体制を構築して危機を乗り切ります。
終戦、そして“質より量”の時代へ
終戦後、工場は一斉に本来の酒類製造へ戻ります。
しかしそこに待っていたのは、深刻な原料不足でした。
配給後に残った甘藷は、黒斑病にかかったものや腐敗しかけたものばかり。
それでも造るしかなく、結果として苦味・渋味の強い焼酎が大量に出回ります。
密造酒(カストリ、バクダン)と並び、
焼酎は「きつい・まずい・安い酒」というイメージを背負うことになります。
ここで焼酎は、戦後日本の“代用酒”の象徴になってしまったのです。
技術だけが、異常なほど進化した
一方で、この時代にもうひとつ大きな変化が起こります。
それが連続式蒸留機の急速な進化です。
清酒業界の要請を受け、フランス製蒸留機を導入・改良。
減圧蒸留機なども開発され、昭和30年代初頭には世界最高水準のアルコール製造技術が完成します。
この技術によって、
・清酒
・みりん
・ウイスキー、ブランデー
・合成酒
など、あらゆる酒類に使用される原料アルコールが大量供給される体制が整いました。
取り残された「商品としての焼酎」
皮肉なことに、
アルコールの品質が極限まで高まった頃から、甲類焼酎の需要は下落していきます。
高度経済成長とともに、
日本人の嗜好は「安さ」から「高級感・多様性」へ移っていきました。
焼酎は「酒不足時代のつなぎ役」と見なされ、役目を終えた存在になってしまったのです。
しかも甲類メーカーは大企業化し、焼酎が売れなくても経営は成り立つ。
商品として磨く努力は後回しにされがちでした。
先に目覚めたのは、本格焼酎だった
一方、地方の小さな蔵が支えていた本格焼酎は違いました。
後がないからこそ、
・品質改善
・原料への回帰
・蒸留・麹・熟成の研究
に本気で取り組みます。
その積み重ねが、後の焼酎ブームにつながっていきます。
甲類焼酎もやがて新商品を投入しますが、
大量資本による模倣的な商品開発は、かえって本格焼酎が灯した火を消しかねない危うさもはらんでいました。
焼酎の「暗黒期」は、再生の準備期間だった
昭和初期から戦後にかけての焼酎は、
・軍需物資に変わり
・酒としての価値を失い
・安酒のレッテルを貼られ
まさに“暗黒期”でした。
しかし同時にこの時代は、
技術と業界構造が大きく組み替えられ、
のちの本格焼酎復興に向けた土台が静かに作られていた時代でもあったのです。
この記事を書いた人
SHOCHU PRESS編集部
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