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焼酎明治時代の写真

【焼酎の歴史】江戸時代の焼酎

 

ヨーロッパでは蒸留酒は「生命の水」
日本の蒸留酒といえば焼酎です。
というより、日本を代表する蒸留酒です。
数々のブームを経て、ようやく定着して今日にいたります。

しかし、ヨーロッパの蒸留酒、たとえばブランデーやウイスキー、ウォッカと比較して存在感が軽い感じがします。
醸造酒のビールやワインは「大衆的」ですが、ブランデーやウイスキーには「高級感」が。
ヨーロッパの蒸留酒に「高級感」があるのは、歴史的な背景が影響しているからです。
蒸留酒は誕生時には「生命の水」と呼ばれ、最初は薬として重宝されていたのです。
中世で猛威を振るったペストの予防飲料としても普及しました。

その経緯もあって、ヨーロッパではワイワイ食事と楽しむのはワインに譲り、食後、リラックスして時間をかけて「高級感」を味わうのが蒸留酒となったのです。

最初の出会いは、「高級品」として
それでは日本の焼酎=蒸留酒の歴史を紐解いてみましょう。

蒸留酒の日本への伝来ルートは、3ルートあると言われています。
ただ、どのルートも「日本に伝えられた蒸留酒は中国の雲南地方に起源をもつ」とする点では、いずれも一致しています。
それがおおよそ15世紀。
15世紀中には琉球(沖縄)で泡盛が造られはじめました。

1609年(慶長11年)に琉球が薩摩の支配下に入り、薩摩藩は徳川幕府の要人達に琉球の特産品である泡盛を贈り始めました。
するとこれが、大変な評判に。
ワンランク上の高級品として珍重されるのです。

この時が、日本(中央政府)に蒸留酒が紹介された馴れ初めといっても良いでしょう。
つまり、日本(中央政府)においての蒸留酒との最初の出会いは、「高級品」としての扱いでした。

その後、各藩にも泡盛に続いて、薩摩藩の焼酎も供給されるようになり、広く知られるようになります。
その中で、焼酎は嗜好品的な価値のみならず、刀槍の消毒用の薬としても使用するようになります。
アルコール消毒用として医薬品として広く知れ渡り、ますます欠かせないものに。
だんだんと需要が供給を上回るようになり、品不足状態が続きます。

ただ、そのころには製造方法が知れ渡ります。

蒸留技術の原理とは、器に入れた 醪(もろみ=酒)を加熱、沸騰させ、その湯気を逃さずに冷やし、露結させ、そしてその露結した露を集めることです。意外に簡単。

醪(=酒)とはつまり、清酒で対応が可能。
清酒はほとんどの藩で造られていますから問題解決です。
そして、清酒ではもったいないですから、その糟(かす)を使うようになりました。
高級品であった泡盛の代用品として普及した焼酎が、清酒の糟(かす)によって造られた粕(=糟)取り焼酎によって取って代わられたのです。

ここがおおよその分岐点かと思います。

焼酎のその後を決定づけた研究書
1696年(元禄11年)に『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』という本が刊行されました。当時の食品に関する研究書で、後世にも影響を残した大書です。京都御所、のちに江戸幕府にかかえられた御用医師を父とし、当時の医学・本草学の権威である人見必大という人が執筆。
その中で人見必大さんは焼酎をこのように書いています。

焼酒は新酒の糟(かす)を甑(こしき)に入れ、蒸して気を上らせ、器で滴露を承けて取る。酸壊の酒からも取れる
引用:人見必大著,島田勇雄訳注 / 本朝食鑑,平凡社(昭和51 {1976))

解説します。
「焼酒は新酒の糟(かす)を甑(こしき)に入れ、蒸して気を上らせ、器で滴露を承けて取る」
意味は、清酒でとれた粕を蒸し器に入れると露がででくるので、それを受けると焼酎ができますよ、ってこと。
そして、最後の一文。
これが問題。
「酸壊の酒からも取れる」
この文中の”酸壊”というのは「酸化して色や味が変質して”腐った”」という意味なんです!

他方、清酒醸造家にとって、この定義はウェルカムでした。
というのも、清酒は天候などに出来が左右されやすく、温度管理に十分に気を付けていても、酸化して色や味が変質して腐ってしまいます。
そして、その廃物処理にも大変な苦労をしていたからです。

それが、その廃物を焼酎として再生し、商品として取り扱ってくれる。
酒粕焼酎を造ることは、かれら清酒醸造家の救済手段となったのです。

人見必大さんの影響は明治まで続きます。
文明開化が始まり、あらゆる分野で西洋化が進みます。
酒造りに関する法整備も進み、最初の酒税法が制定されます。
その中で焼酎の記述は以下。

第一項 焼酎とは清酒粕を蒸留したものを謂ふ
第二項 左に掲ぐる物品を原料として蒸留したものは焼酎と看做す
一、清酒
二、濁酒
三、味醂粕
四、米、麦、稗若しくは甘藷と麹及び水を原料として醗酵せしめ又は酒酵母を加えて醗酵したるもの

驚くことに、焼酎は”粕取り”だと規定しています。当時は、琉球はもちろんのこと、薩摩や球磨、壱岐では本格的な焼酎作りが始まっていたにもかかわらず、です。
第二項の一、清酒とはつまり、”酸壊”した清酒のこと。
本来の焼酎の主役となるべく、米、麦、甘藷(さつまいも)は、”酸壊”した清酒や味醂より劣後されました。

日本を代表する蒸留酒である焼酎が、他の国より存在感が薄いのは、このような導入期における錯誤があったと言って良いかもしれません。

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