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壱岐焼酎は伝統の麦焼酎の画像

壱岐焼酎は伝統の麦焼酎!特徴と全酒蔵までご紹介します

麦焼酎の嗜好も進化して、伝統的な麦焼酎が注目されています。
伝統的な麦焼酎といえば、壱岐焼酎。
今回は、端麗でライトな味わいとは一線を画す、壱岐焼酎をご紹介します。

壱岐焼酎は麦焼酎の元祖の画像

壱岐焼酎は麦焼酎の元祖

昭和48年に「吉四六」が二階堂酒造から発売されると、全国的に麦焼酎を中心とした焼酎ブームが起こります。その後、同酒造から「二階堂」、”下町のナポレオン”というキャッチコピーを提げた「いいちこ」が、相次いで大分の酒蔵から発売。大分の麦焼酎の全国的な認知が広がります。

その特徴は、都会人の嗜好に合うようなクセのないライトな焼酎造り。
技術的には、
・減圧蒸留
・イオン交換濾過
がポイント。

また、大分の麦焼酎は、麹に麦を使用している点も人気を博した理由でもあります。
ウイスキー愛好家を取り込んだのでした。

大分の焼酎とは違った、壱岐焼酎の画像

大分の焼酎とは違った、壱岐焼酎

それ以前の麦焼酎といえば、壱岐が代表的な産地でした。
その特徴は、都会人の嗜好に合うようなクセのないライトな焼酎造り、とは言えないものです。

その理由は、
・減圧蒸留ではなく、常圧蒸留
・麦麹ではなく米麹
だからです。

昔ながらの伝統的な焼酎だったワケです。

しかし、昭和40年代の大分の麦焼酎ブームから長い年月が経つにつれ,ライトな口当たりでは麦焼酎の個性が乏しい、また、イオン交換濾過からくる樹脂臭が気になるという、消費者の意見が出始めます。
麦焼酎の理解の深化が進み、より”本格派”が求められるようになったのです。

ただ、これは、芋焼酎にも起こったこと。
飲み口がライトな口当たりに変化をもたらし、芋焼酎が全国区になったきっかけといわれる白麹が、深化を求めた愛好者によって、かつての”本格派”である黒麹に取って代わったのです。
それによって「黒霧島」の爆発的なブームが到来したのでした。

麦焼酎の”本格派”とは、減圧蒸留よりも、麦の香りを濃厚に感じる常圧蒸留のことでした。
そんな理由から、昔ながらの独特の香ばしい香りと、個性的な通好みの壱岐焼酎に脚光が集まるのです。

壱岐はこんなところの画像

壱岐はこんなところ

壱岐は九州北部の玄界灘に浮かぶ、東西25 km、南北17 kmの138 k㎡小さな島です。福岡・博多港から高速船で1時間強の距離。地名は長崎県壱岐市。
その歴史は古く、中国の史古「魏志倭人伝」に登場するほど。
古来から交易地として、また、邪馬台国と大陸との交流の重要な中継地だったようです。

また、日本最古の歴史書である「古事記」の記述にも注目です。
伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の夫婦神によって作られた8つの島のうち、伊伎島(壱岐島)は5番目に生まれた島とされています。

その後は、645年の大化の改新では壱岐に国府がおかれるようになり、聖武天皇時代(725~748年)には国分寺が建立。壱岐は玄海の要の島となりました。

中継地であるが故に生まれた伝来ルート説の画像

中継地であるが故に生まれた伝来ルート説

焼酎伝来ルートの一つに、中国大陸から朝鮮半島に渡り伝来したという説があります。その場合、朝鮮半島から日本に入るには、壱岐島、または対馬を中継しますから、壱岐は日本国内で最初に焼酎(蒸留技術)が伝わったといわれます。

だとしたら、長い間、個性的な麦焼酎造りが盛んな土地だったことに合点がいきますが、焼酎伝来ルートは他に2つの説が唱えられており、壱岐島が日本における最初の焼酎作りの地であった、と断言できるわけではありません。
残念ながら。

壱岐焼酎造りの始まりの画像

壱岐焼酎造りの始まり

江戸時代に壱岐を治めていたのは、平戸藩です。
壱岐は、その後、米も麦も豊富にとれる穀倉として有名として名を馳せますが、当時は手つかずのまま。平戸藩の役人は、開墾を奨励します。

瞬く間に、起伏が少ない広大な土地は、71%が耕地、またその3分の1が水田になり壱岐は屈指の米どころとなります。

ところで、畑地は一定の比率で米のとれる田に換算され、年貢は米で納めることを建前としています。
例えば、米1斗納めるところを、麦なら1斗5升も納めなければならなかったのです。
結果、年貢には米を納めることにして、麦を主食にすることとなります。
そして、食糧用の麦の余りを使って麦焼酎が誕生し、江戸時代にはすでに自家製で焼酎が造られていたといわれています。
この米も麦も豊富にとれる肥沃な土地が、麦焼酎の発展の礎を築いたのでした。

その後は、九州の他エリアの焼酎造り同様、明治後半には自家製だった焼酎造りが専用酒蔵に生産が移行したようです。

焼酎は武士の刀傷などの薬の画像

焼酎は武士の刀傷などの薬用

余談ですが、焼酎は、江戸時代には飲用以外にも使用されていたといわれています。
その中で、平戸藩には、武士の刀傷などの薬用、消毒用として焼酎を常備させた記録があるのでご紹介します。
1795年(寛政7年)の平戸藩の町方御仕置帳には
「荒生の焼酎、酒屋一軒に壱升あてかこい置かせ、諸士中共の外病用に就き所望これ有り候節は、指紙(指示の書類)相渡し、代銀引替に売波され申すべき事」と記した条があり、現存されているのです。

これも、壱岐において焼酎が古くから日常的なものであったことの証左です。

壱岐焼酎酒蔵7蔵のご紹介の写真

壱岐焼酎酒蔵7蔵のご紹介

それでは、壱岐焼酎酒蔵をご紹介します。
壱岐には、酒蔵が7蔵あります
138㎢の小さな島に、個性的な蔵がまとまってあるのは、麦焼酎発祥の地といわれる所以。
日本国内、世界的に評価の高い蔵もありますので、この機会に是非覚えてください。

天の川酒造株式会社
創業は明治45年。
美食で知られる作家である、開高健氏に愛された蔵元。
その酒質に惚れ込んだ氏が、蔵元に賛辞の手紙を送ったというエピソードもあるほど。
ネーミングは、俳句を嗜んでいた初代が「松よけて見上げる空や天の川」と詠んだのが由来。
26品目ともすべて常圧蒸留にこだわった焼酎を造っています。

有限会社山の守酒造場
明治32年の創業で、壱岐で最古の歴史を誇る蔵。
初代が創業した志原村西触は山内姓が多く、創業主の山内守政氏は、
通称「山守」と呼ばれていたのが、ネーミングの由来。
以来、代表銘柄は「山乃守」とし、会社名は「山の守」としている。
こだわりは伝統の甕仕込みと、機械を介さない手作業での焼酎造り。

玄海酒造株式会社
明治33年、壱岐で一番高い岳ノ辻の麓で創業。
当時から現在まで、米麹1/3に対して大麦2/3を使うという壱岐独特の製法で、人気銘柄を生みだしてきました。
特に人気銘柄の「スーパーゴールド33」は何かと話題にされます。
“33”というのはアルコール度数のことですが、その根拠は壱岐の緯度、そして蔵の創業年から。
一般的にアルコール度数は25%、35%とキリの良い数字におさまる中、ゾロ目が個性的。
貯蔵・熟成にシェリー酒に使ったホワイトオーク樽で製造した、実力派麦焼酎でもあります。

重家酒造合名会社
蔵元の名前は、壱岐でかつて酒造元を「おもや」と呼んだことから。
大正22年の創業以来の当蔵のこだわりは、3点。
原料の米と麦を蒸し上は木製こしきで行うこと、甕壺での仕込み、そして手造り。
そんなこだわりが詰まった代表銘柄の「ちんぐ」は、全国的な人気銘柄です。
やわらかく、コクのある味わい、口ックで楽しむ都会派焼酎でもあります。
ちなみに、ネーミングは壱岐の言葉で「仲間」という意味が由来。

株式会社猿川伊豆酒造場
創業は明治36年。社名、代表銘柄「猿川」は「さるこー」と読みます。
由来は、当蔵を横切る清流の呼称から。
壱岐は、良質な伏流水が豊富であることで有名でもあります。
それは壱岐で焼酎造りが盛んになった理由の一つ。この清流も当蔵の重要な原料。
代表銘柄「猿川」は、大麦と米麹がすっきりとバランスよく合わさっている、軽快な一品。
素朴な旨さがあるので、飲み飽きしない。晩酌の定番酒として人気です。

株式会社壱岐の華
創業は明治33年。
壱岐は玄界灘に浮かぶ島ですが、時に荒波にさらされます。
それは、波が怒濤のように猛り、時には、白い華のように見えることも。
ネーミングは、そのような表現が由来だそう。
常圧蒸留常圧蒸留と熟成にこだわる、伝統的な壱岐の蔵です。
代表銘柄は、日常酒として気軽に楽しみたい「壱岐の華」。

壱岐の蔵酒造株式会社
1981年(昭和59年)に壱岐の6つの酒造が協業して「壱岐焼酎協業組合」設立。

協業組合を設立した長谷川酒造、吉田酒造、篠崎酒造、石僑酒造、原田酒造、殿川酒造はいずれも麦焼酎と清酒を造っていた蔵である
その後、2010年(平成22年)に「壱岐の蔵酒造」と社名変更したのが当蔵です。
当蔵は壱岐焼酎造りの伝統技術の粋を集め、常圧蒸溜から樽熟成、さらには花酵母を使った焼酎までを展開しています。
一方、革新性も持ち合わせており、壱岐で最初に減圧蒸溜での焼酎造りを始めました。
メインブランドは「壱岐の島」ですが、壱岐出身のイラストレーターである長岡秀星氏がラベルを描いた「壱岐っ娘」が注目されています。
世界的なミュージシャンのアルバムジャケットのイラストで有名な氏のラベルは、ジャケ買いの対象にされることも。

まとめの画像

まとめ

いかがでしたか。
壱岐の長きにわたった伝統の焼酎造りが今日の隆盛を作り出した、といえば言い過ぎでしょうか。
ちなみに、壱岐は玄界灘で揉まれた海の幸、銘柄牛など食の宝庫。
日本最古の部類に属する神社の数々など、観光でも楽しめるようです。
一度、壱岐に訪れてみてはいかがでしょうか。

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