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村尾酒造の代表銘柄「薩摩茶屋」の画像

【芋焼酎】薩摩茶屋(さつまちゃや)/村尾酒造(鹿児島県薩摩川内市)

薩摩の政治や経済、文化を支える薩摩川内エリア

川内川(せんだいがわ)は、熊本県球磨の白髪岳を源に、熊本県、宮崎県、鹿児島県の焼酎産地3県にまたがる、九州で2番目に大きい一級河川。
古くから地域に豊富な水と魚などの水産資源をもたらし、人々の生活になくてはならない川となっています。

薩摩川内市は、その川内川の下流、東シナ海に導く薩摩灘を擁する街として、発展してきました。
古代から薩摩半島の政治や経済、文化を支える拠点。
その証左に、薩摩国町跡や国分寺など史跡が多く存在します。

薩摩の政治や経済、文化を支える薩摩川内エリアの画像

中でも、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る新田神社が有名。
かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格が、今でも圧倒的な存在感を発しています。

また、隣接する可愛(えの)山陵は、吾平山(あいらさん)上陵、高屋山(たかやさん)上陵とともに神代三山陵の一つ。
明治7年7月に瓊瓊杵尊の墳墓として指定され、今も、宮内庁が直轄で管理しています。

「大正九年に昭和天皇様が皇太子の時御参拝いただきましてより皇族の方の参拝が九度におよんでいます。」
-引用 : 新田神社公式サイト

このあたりは温泉地として、知る人ぞ知るエリアの画像

このあたりは温泉地としても、知る人ぞ知るエリア。
特に川内高城温泉は、800年余りの古い歴史を誇り、西郷隆盛も愛用したといわれる人情味あふれる温泉郷。
湯量豊富、泉質優秀な温泉は、他に類を見ないと言われています。
ゆっくり湯治するには絶好の場所で、旅館によっては自炊部屋も。

温泉療法医がすすめる名湯百選にも選ばれ、全国的に有名な湯治湯として知られています。
-参考 : 名湯百選 温泉療法医がすすめる温泉

村尾酒造の創業の画像

村尾酒造の創業

プレミアム焼酎「村尾」で有名な村尾酒造は、そんな薩摩川内市にあります。
街中の喧騒から離れて、森林が生い茂る自然豊かな山の中に、蔵は建っています。
蔵の目の前には小川が流れ、まさに民話に出てくるような日本の里の原風景。
川のせせらぎと、鳥の声と、風にそよぐ樹々の葉音。
秋には、蔵の前庭にコスモスの花が咲き乱れ、トンボが飛んでいるのだそう。

村尾酒造の創業は、1902(明治35)年。
多くの南九州の焼酎酒造と同様に、自家製造が禁止された1899(明治32)年以降の創業です。
初代の村尾翁吉氏より2代目・村尾一二氏、3代目・村尾寿彦氏と代が続いて、現当主は4代目の氏郷真吾氏です。
3代目・村尾寿彦氏の二女、由紀さんの旦那さんにあたります。

創業当時には、村尾酒造で作られる焼酎には、銘柄名が特になかったようです。
ただ、蔵に「村尾の焼酎」と描かれたラベルの写真が残っているのだそう。
2代目・一二氏の頃は、戦争に明け暮れた当時を象徴するように「勝利」という銘柄になり、敗戦後は、「キング」という洋風の銘柄名で焼酎を販売していたそうです。

3代目・寿彦氏が、「森伊蔵」、「魔王」とともに「3M」と呼ばれる「村尾」を復活させたといいます。
【今焼酎】薩摩茶屋(さつまちゃや)/村尾酒造(鹿児島県薩摩川内市)の画像

「村尾」3代目寿彦氏の奮闘

焼酎ファンの間では、焼酎造りの天才として語り継がれることの多い寿彦氏。
しかし、もともと3代目として藏を継ぐ意思は、なかったといいます。
寿彦氏は、東京に出て日本大学商学部を卒業後、目指した職業は、意外にも漫画家。
漫画雑誌に掲載されたエピソードもあるのだそう。

2代目の父一二氏が年老いたため、寿彦氏は26歳の時、蔵に戻ります。
仕方なく、後を継ぐことにしたのだといいます。

3代目に代が移った当初は、焼酎がまったく売れなくて業績不振になります。
5人ほどいた従業員の給料も払えなくなり、寿彦氏が全て自身で焼酎造りをするように。
麹造りからラベル貼りまで、1人ですべてをやらざるをえなくなりました。
プレミアム焼酎「村尾」の復活の画像

プレミアム焼酎「村尾」の復活

村尾酒造の代名詞は「甕仕込み」ですが、この苦労した時期に採用したようです。
それまでの村尾酒造では、一次仕込みには甕を使っていたものの、二次仕込みはホロータンクを使っていました。
甕には目に見えない小さな孔があるため、きれいに洗えないのが気に入らなかった理由。
しかし、2代目が使っていた甕が裏山で保管されていたのを幸いに、二次仕込みで甕を使ってみることを決意。
甕に変えてから味に厚みが出て、安定するようになったといいます。

甕には、無数の気孔があいているので醪が呼吸をし、甕に含まれている無機物が自然に溶出。
そのため、まろやかな酒質に仕上がるといわれています。

その後、プレミアム焼酎「村尾」が復活。

そして、寿彦氏は甕以外も工夫を重ねます。
「焼酎は蒸留で3割が決まる」との信念から、蒸留器への思い入れは凄まじく、パイプの曲がりなどを手始めに、改良に改良を重ねたそうです。

こういった努力で、味はますます向上。
全国で、プレミアム焼酎「村尾」の名前が知られるようになっていきます。

甕仕込み以外のこだわりの画像

甕仕込み以外のこだわり

村尾酒造では、甕仕込み以外のこだわりがあるので、ご紹介します。
それは、蒸留した後の熟成期間が1ヶ月であること。

「いも焼酎は泡盛や黒糖焼酎と違って、早く出して飲むほうがいい。いかに早く出すかを研究してきた。ぼくは長期熟成をする気はありません」
-引用 : 「楽園紀行⑩村尾酒造」焼酎楽園,vol.4 ,金羊社 , 2000年12月

長い間、焼酎は長期熟成には不向きとされてきました。
しかし、フーゼル油を安定して管理することにより、長期熟成焼酎が可能に。

そして、市場で評価されることになったのです。
プレミアム焼酎「百年の孤独」の大ヒットがそれを裏付けます。

また、長期熟成を目的とした焼酎以外も、一般的には蒸留後、最低3ヶ月くらいの熟成期間を経る場合が多いです。
それは、熟成というより、香味成分を落ち着かせる貯蔵のため。
そんな中にあって、村尾酒造の1ヵ月という短い貯蔵期間は、とても特徴的なことなのです。

こういった数々のこだわりが、プレミアム焼酎「村尾」誕生に繋がったといえるかもしれません。

「薩摩茶屋」の主原料の芋の画像

村尾酒造の代表銘柄「薩摩茶屋」

今回紹介する銘柄は、「薩摩茶屋」です。
プレミアム焼酎として「村尾」があまりにも有名ですが、代表銘柄として「薩摩茶屋」があります。
都会派の「村尾」に対して、「薩摩茶屋」は地元で親しまれているようです。

ネーミングの由来は、村尾酒造の近くに、西郷隆盛がお茶を飲みに寄っていたといわれる薩摩藩公御茶屋敷跡があったことから。

「薩摩茶屋」の主原料の芋は、南九州市産の黄金千貫と、長島町産の白豊(しろゆたか)。
麹米にはタイ米を使っています。
かつて、タイ米は水分が少なくて麹米が造りやすいため、麹用にタイ米が使われてしました。
代名詞である甕仕込み同様に、伝統に則って焼酎造りをする村尾酒造らしさが出ています。

「村尾」3代目寿彦氏の奮闘の画像

飲み方はお湯割りがオススメです。

お湯を最初に注ぎ、次いで「薩摩茶屋」を入れると、蒸したお米の香ばしさを濃厚に感じます。
「薩摩茶屋」がお湯に馴染むと、やわらかな甘い香りに鼻の奥が膨らみます。
また、甕仕込み由来のほっこりとした印象を受けます。
田舎で入るお風呂の湯気のよう。
口に含むと、ふんわりとした黄金千貫の白い花の香りと、キレのある甘み。
複雑な香りのない、昔ながらの芋焼酎。
黒麹由来の辛さも感じます。
余韻はマイルドでありながら、フーゼル油の粘度が口腔に残ります。

料理は、薩摩川内市の名物、きびなごの刺身をイメージの画像

料理は、薩摩川内市の名物、きびなごの刺身をイメージして、鰆のカルパッチョや、カルトッチョがあいそうです。

〈銘柄データ〉

【薩摩茶屋(さつまちゃや)】
村尾酒造/鹿児島県薩摩川内市陽成町8393
主原料/芋(黄金千貫、白豊)
麹菌/黒麹(タイ米)
度数/25度
蒸留/常圧蒸留

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