【芋焼酎】たちばな 原酒/黒木本店(宮崎県児湯郡高鍋町)
宮崎県児湯郡高鍋町
高鍋町は、宮崎県の北と南を結ぶ海沿いの、ほぼ真ん中にあります。
古くは、秋月氏が治めていた高鍋藩の城下町。
今でも、家老黒水家の屋敷や秋月墓地、県内で唯一残っている城堀など、秋月藩ゆかりの史跡が現在も各所に残っています。
また、史跡以外にも魅力あふれる町で、特に遠浅で水質のきれいな海(日向灘)は必見。
天然の牡蠣や、サバフグなど海の幸が豊富な海として有名です。
宮崎の焼酎は原料が多様
高鍋町は、宮崎県酒造組合が地区分けをする7つの地区において、「西都・高鍋地区」に属しています。
同地区は、麦や芋を原料にした焼酎造りが盛ん。
宮崎県では、地区ごとに使用する原料が違います。
北部の「高千穂、延岡・日向地区」では蕎麦や麦、米、とうもろこしが、南部「(日南・串間、都城地区」では芋がメインに使われています。
風土にあわせた多様な原料を使って、それぞれのバラエティー豊かで個性的な焼酎造りをしています。
また、宮崎県の中央部に位置する「西都・高鍋地区」は、さつまいもが栽培できる北限だといわれています。
黒木本店は、そんな高鍋町の静かな商店街にあります。
創業は、1885年(明治18年)。
代々より、芋をメインに米、麦などを造っており、かつての代表銘柄は、芋焼酎「たちばな」。
そんな黒木本店が、転機を迎えるようになったのは、4代目として黒木敏之氏が蔵を継いでから。
黒木本店4代目当主・黒木敏之氏
敏之氏は当初、黒木本店を継ぐ意思はなかったといいます。
実際に、東京の大学を卒業後、そのまま東京で就職しますが、その先はハイセンスで有名な輸入雑貨専門店。
他の蔵の後継者のように、後学のためとして酒類メーカーを選択することはありませんでした。
しかし、あるきっかけを機に、黒木本店を継ぐ意思を固めたといいます。
1980年(昭和55)に敏之氏は4代目に就任。
敏之氏が大学を卒業する1970年代後半は、焼酎ブーム前。
南九州の地酒が、全国的に広がるとは露にも思われてもいなかった時代で、どちらかというと焼酎製造業は、斜陽産業とされていました。
そのため、1970年代後半ころは敏之氏に限らず、焼酎製造業の後継者の方々は、他業種に就職されることもあったようです。
しかし、1980年以降の空前の焼酎ブームを目の当たりにすると、皆さん後継の意思を改めるケースが増えていきます。
それぞれ東京や大阪に住み、他業種でご活躍されていたのを心機一転、地元にUターンされて家業を継がれることに。
敏之氏は、4代目に就任すると早速、原料に山芋を使った新焼酎「天嵐坊」を発売。
ネーミングはフランスの詩人アルチュール・ランボーから。
このネーミングは、その後の敏之氏の焼酎造りの嚆矢となります。
前衛的な敏之氏の焼酎造り
敏之氏は大学時代、バンド活動に明け暮れたといいます。
バンド活動は社会人になっても継続。
音楽のほかにも、文学、映画にも造詣があり、それが嵩じてシナリオを執筆していたといいます。
その文化度の高さが、前衛的な焼酎のネーミングとして表出したのでした。
「天嵐坊」の売れ行きは上々でしたが、その後はパタッと売上げが止まります。しかし、敏之氏は進み続けます。
今度は、売れずに残っていたブレンド用の麦焼酎を、樽で熟成することを思いつきます。
新しい樽を購入して、麦焼酎を3年貯蔵。
「日本はできたての新酒を割り水をしてアルコール度数を下げて味わう文化。日本酒も焼酎もそうですね。海外ではウイスキーでもブランデーでも蒸留酒は樽で長期熟成し、度数の高いまま楽しんでいます。焼酎も蒸留酒。樽で熟成して悪いはずがない。隙間商品かもしれないけど、小さなメーカーだからこそできる挑戦だと思いました」
-引用: 山岡敦子著, 「旨い!本格焼酎」, P154,ダイヤモンド社.2002年
焼酎は長い間、長期貯蔵熟成には不向きとされてきました。
長期貯蔵すると、酸化のリスクにさらされることを経験的に知られていたのでした。
しかし、酸化へのさまざまな対策が取られるようになると、長期熟成をトライする酒蔵が増えてくことになります。
樫樽熟成焼酎の誕生
こうして、蔵に戻って5年後の1985年(昭和60年)、樫樽熟成焼酎「百年の孤独」が誕生。
ただ、前衛的な敏之氏の力が発揮されたのは、焼酎だけにとどまりません。
ネーミングは、コロンビアのノーベル文学賞作家のガルシア・マルケス代表作である「百年の孤独」から。
ボトルは、それまでの一升瓶が代表する焼酎のイメージを一新するように、独創的な「いかり肩ボトル」。
パッケージにはクラフト紙を巻きつけて、ラベルはなんとコルク製。
一見、洋酒かと見紛うような外見こそ、敏之氏の発想だったのです。
「百年の孤独」の発売に際し、特にマーケティング活動はしなかったようです。
しかし、都心部の感度の高い人たちの間で口コミが広がり、発売2年目に一気にブレイクを果たします。
入手困難になった焼酎のはしりともいわれ、その後の、プレミアム焼酎の礎を築いたともいわれています。
また、長期熟成焼酎が本格的に普及・定着をしたことによって、他の焼酎酒蔵も開発のギアを上げます。
この「百年の孤独」のブレイクから、長期熟成焼酎の市場が確立されることとなります。
その後も、餅米原料の「野うさぎの走り」や、初留取り焼酎「爆弾ハナタレ」、木樽蒸留「㐂六」などのヒットを飛ばし続けます。
最近では、5代目当主・信作氏が生み出したアルコール14度焼酎「球」が、日本酒、ワイン独断だった10~16度数マーケットに参入した焼酎として、注目を集めています。
「たちばな 原酒」
今回ご紹介する銘柄は、「原酒 たちばな」です。
黒木本店創業時からの芋焼酎「たちばな」の原酒。
焼酎は蒸留したあと、「割り水」をしてアルコール度数を調整しますが、その「割り水」を省いたものを、原酒といいます。
「割り水」をした場合は、度数は25度前後になりますが、原酒は元のまま「まじりっけなし」のため35〜45度と高いのが特徴。
「たちばな 原酒」の素晴らしさは、焼酎が本来もっている独特の風味を濃厚に感じる点。
また、アルコール度数は37度と、原酒の中では低いほうです。
油紙で覆い、縄で縛った包装も黒木本店らしさ。
飲み方はロックがオススメ
原酒の人気の仕立て役は、都会のスピリッツ・ファンだといわれています。
ジンやウオッカといったアルコール度数が40度以上ある強いスピリッツを好み、ロックやストレートで飲むことに慣れている人たち。
原酒も度数が高く、割り水をしていない分、酒の個性がダイレクトに出るので、ロックやストレートで味わうのに適しています。
また、ロックにすれば、適度に氷が溶けてアルコール度数を下げるので、さらに飲みやすくなるのもポイント。
グラスに「たちばな 原酒」を注ぐと、さつまいもの甘い香り。
「酒造りは農業」という黒木本店のメッセージ通りに、さつまいもの鮮度が伝わってきます。
やや強い粘度。
アルコール度数は37度と低いため、原酒独特の鼻をうつようなアルコール臭は感じません。
口に含むと、濃厚でふくらみのある黄金千貫のパワー。
肥沃な大地の湿ったような土の香り。
スーッと口の中を通り過ぎたあと、余韻の心地よさは喉の奥で感じます。
芋焼酎は、自然飲料だなとつくづく実感。
原酒は、ウイスキーやブランデーのように食後酒として楽しみますが、「たちばな 原酒」は、食中酒としてもおすすめです。
合わせる料理としては、天然の牡蠣などミネラル香のする海の幸が合いそうです。
〈銘柄データ〉
【たちばな 原酒】
黒木本店/宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋776
主原料/芋(黄金千貫)
麹菌/白麹(米)
度数/37%
蒸留/常圧蒸留
この記事を書いた人
SHOCHU PRESS編集部
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